雲谷町の家愛知県豊橋市 |
私たちが「どこに住むか」は、時代の変化によって主題を変えながらも、常に共通の問題意識として存在し続けている。この住宅は愛知県座談山の麓にある小さな集落に建つ平屋の住宅である。このような集落では、人びとの生活において、内・外・内をつないで暮らしを支える納屋の存在は大きい。雲谷町の家はそこで見られるような分棟形式にするのではなく、敷地の余地として隣地へ適切な距離をとり、住宅の周囲に約1間の軒下空間を巡らせている。外壁の木製押縁と固定用の六角コーチスクリューが、マテリアリティとして軒下に空間性を付与し、日常の道具類がこの外壁を背景として佇む、開いた納屋を纏ったような空間である。そのことによって、一般的には目隠しをされる室外機も、ある種のマテリアリティを持って存在している。 内部空間においては、柱と間柱をそのまま残し、窓がカラマツ構造用合板の外側に設置されていることで、周囲への距離感を程よく調整している。入口の外側に広がる土間は、内部空間から反対側の外部へ連続し、住宅の周縁に纏った納屋を貫通し、半屋外と半屋内が融合した、「半屋内外空間」と呼べるような場所になっている。 フランスの評論家ミシェル・ラゴンは「われわれは明日どこに住むか」(1965年)で、当時の急速な都市化や技術革新が人々の生活空間に与える影響を分析し、未来の住まい方や都市の在り方を探求、提示した。今の時代だからこそ、都市だけでなく、集落に住む時にこそ建築がもつ力によって、そこに住むことに希望と価値を与えてくれる、そんな建築ではないだろうか。 (金子 尚志) |
弓張山地南部座談山の麓の小さな既存集落に建つ住宅である。周辺は石垣と槇の生垣の屋敷林が廻らされている豊かな自然環境の地域であり、敷地は広く、この住宅は水回りを居間、個室、納戸が囲むセンターコア的な構成の5間角入れ子構造で、その周囲を奥行2mの軒が回る大きな切妻屋根の平屋住宅である。深い軒に跳ねだした一尺五寸ピッチの母屋、7寸五分ピッチの垂木、柱・間柱と同ピッチの外壁フレキシブルボードの押縁が整然と並ぶ様が印象的で、現代の住宅でありながら田舎家を連想させる。 深い軒下にはベンチ、棚、物干しパイプが取り付き、屋外設備、バイクや自転車が置かれ、休憩場、物干し場、設備機器置き場、駐輪・駐車場、物置、納屋などの多様な役割を持つ空間となっており、主屋に付随する中間領域として室内外に開いている。 構造材は一般的な規格材を使用し特殊な納まりはなく、内部は基礎、パッキンなども含め現しとなっており、更新する自由度を持っている。外断熱を採用することで一寸五分ピッチの柱・間柱はどこでも応用の利く収納となり、そのまま残すことで家族を守る装置にもなっている。またセンターコアの水回り上部空間はそこから住宅全体が見渡せ、居間、個室へのほどよい繋がりをつくり出している。外断熱の採用と住宅全体の気積を抑えることで省エネルギー化を図り、エアコンは1台のみが設置されている。 建築家は地域の気配を察知しこの住宅に落とし込み、クライアントの内外に開くという要望と相反する条件の両者を見事に適えている。新しく田舎で暮らす家族が、この家を使いこなしはじめていることが何より証明している。本質的で丁寧な住まいづくりを高く評価したい。 (筒井 裕子) |
|||||||||||||||||
|
|