新富士のホスピス静岡県富士市中島327 |
末期癌患者のためのホスピスである。そのため、日常と地続きとなる終の住処をコンセプトとしている。 もし末期癌になったら、病院か自分の家か、どちらを選ぶだろうか。設計者はこのことを自らに問いかけ、人間の最後にふさわしい場所には、在宅と病院の対立する二つの場所ではなく、病院施設にはない“日常”を感じることができるホスピスをめざしたものである。 もともと10mを超える雑木林のような場所だった。新しく建物が立ち上がるというより、既存の樹木を避けるように配置され、コモンのような雰囲気になるようデザインされている。最高高さ6.5mの建物は、樹々や草の緑のなかに慎ましく存在しているようだ。 回廊は広くなったり狭くなったり、中庭があったり、容易に外のデッキに出られたり、患者や訪ねてきた家族や友人たちと一日ゆったり過ごせる場所となっている。樹の幹にふれ、多年草にさわれるように、遠ざかってしまった日常に出会うことができる。 20ある病室は天井高2.3mの低い部屋から3.2mの高い部屋など、家のようにそれぞれに異なる表情をもたせている。ハイサイドライトから枝葉が見えたり、庭に手が届くなど、常に緑を感じとれるようにデザインされている。 竣工から1年以上経過して、庭に植えられた草は地面を覆い、水辺にはカエルやトンボなどの生き物が棲みついてきたという。病院とは思えない風景がここにあり、患者にとってはもちろん、医療従事者にとっても癒しの場所となっていることは確かである。 |
この種の施設として、陥りがちな“看護者としての目線”より
も“末期癌の患者の目線”を重視することに真摯に向き合った努力が感じられる。設計段階では、施設側のプロの視点と相容れない部分が多数あったと聞く。『設計者の独りよがりでは?』と悩んだ時期もあったと聞く。それらを乗り越えて出来上がったこの施設は、在宅でもなく病院でもない、対立する二つの場所には無い、正に新しい“選択肢”と言えるのではないだろうか? 短時間の審査だけでは到底解るものではないとは思うが、設計者の努力とクライアントの理解が結実した結果がここにあると考える。 まず、狭い敷地にあって、既存の樹木を最大限に生かしたレイアウトで、道路からは全体のプロポーションが見えない。いや、どこからも見えない。正に元々そこにあったような“雑木の庭にある”建物である。庭にあるビオトープには、カエルやトンボが住み着いてきたそうだ。病室を繋ぐ回廊は、この庭と自由に行き来が出来、患者や見舞いの家族にとってゆったりと過ごせる、子供たちの笑い声が聞こえそうな空間となっている。 外壁や内壁は、地場の砂を使った左官仕上げである。これも病院としては非常識とも言える仕上げだが、周りの樹木との調和、人の手を感じられる柔らかな印象を持たせるための手法と設計者は語る。既成概念にとらわれず、“患者の視線”をとことん追求する姿勢が、病院施設にはない“日常”を感じられる施設を生み出したのではないだろうか? |
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(塩見 寛 ) | (松本 正博 ) | |||||||||||||||||||||
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