栄を南北に貫通する100mの幅員をもつ久屋大通の中軸上に伸びる線状公園に建つ「名古屋テレビ塔」 は、長らく、名古屋城とともに名古屋の都市景観の臍を形作ってきた。当初の設計は東京タワーの同じ内藤多仲の手になり、東京タワーに先行して1954 年に竣工した。評者もできて日が浅い時期に登った記憶がある。丘の上に建つこともあり、中心にエレベーターシャフトを設けて股の下を塞ぐ東京タワーと違い、名古屋テレビ塔ではシャフトを偏心させることで、エッフェル塔と同じように地上面を抜き、線状公園に立つ塔として適切な構えを持っている。建築的にみても、鋼材が高価な時代に、部材重量を減らすために小断面の鋼材を鋲で組み合わせた構造設計は、大断面の鋼材を単純に組み合わせる現代の塔では決して実現できない可憐で軽やかなシルエットをなし魅力的であり貴重である。
本プロジェクトは、デジタル放送化により電波鉄塔の役割を終えた塔を、収益性も高めて持続可能な市民のためのランドマークとして残すことを目的としている。このような構造特性をいかしつつ耐震性を高めようとすると、免震が不可欠であるが、地下には地下鉄が浅いレベルで走るという困難が待っている。設計者はさまざまな可能性を検討比較して、現在のもっとも単純で、現状の改変のすくない解決に到達した。そのプロセスは、施工計画と構造計画の見事な共同作業であり驚嘆に値する。このような事例の積み重ねによって、初めて都市の豊かさは厚みを増すということを示す優れた挑戦である。 |
文化財としての塔のシルエットを守りながら、塔足元空間の広がりと南北に抜けるビスタを確保し、かつ耐震改修を経済的に実現するために長い年月をかけて様々な検討がなされた。最終的には、塔体を支える四隅の柱脚部のみに最小限の免震ピットを設け、広場上部のアーチ下面を炭素繊維シートで補強してから、基礎中段を解体して塔体をジャッキアップしながら、一つの柱脚につき二つの「積層ゴム」と「直動転がり支承」をセットし、免震基礎を再構築している。高い設計力と施工技術力により、1954年に建設されたリベット接合による繊細な構造体に対し極力手を加えずに免振補強することで、名古屋のシンボルとしてのテレビ塔と久屋大通り公園のビスタを後世に残した点は大いに評価に値する。
放送施設からレストランやショップ、アートホテルへとリノベーションする際に、塔体の構造部が室内にアクセントとして露出するデザインとなっており、仕上げや躯体の新旧が混在しながら共存するデザインの在り方は理解できるが、構造体の露出部位が断片的にしか室内に表れてこないため、聊か暴力的にも見えてしまうところも見られた。また、広場上部のアーチ下面の補強や柱脚部のベンチの形状などのデザイン精度をもう少しあげられるのでないかと感じられた。 |