国立工芸館は、国の登録有形文化財である旧陸軍第九師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築・活用されたものである。旧陸軍第九師団司令部庁舎は工芸品を展示するため、美術館としての機能を満たすため、両翼の復元部分はRC造で計画されている。外観からはその継ぎ目がわからないように、EPXジョイントを設けずに、木造とRC造を一体とし、地震力をRC造部分が負担する平面混構造を採用している。古材がJAS適合材して認められないことから限界耐力計算法を適用するなど、かつてあったであろう姿をできるだけ従来の部材をそのまま活用しながら復元するために様々な工夫と手間がかけられている。有形登録文化財の移築・活用において新たな選択肢を確立した点は評価に値するが、そうした技術的な課題への解決に時間と労力が費やされたためか、復元されたRC部分の内装計画が、従来の新築の場合とそれほど変わらないように見え、また、今回復元・保存と関係のない共用エントランス部や収蔵庫横の搬入部門は鉄骨造で無難に計画されているように見えた。新しく加えられたものと保存・復元された部分との対応関係にもう少し提案があっても良かったのではないかと思われた。
とはいえ、石川県立博物館と石川県立美術館をつなぐように配置された国立工芸館により、「兼六園周辺の文化の森」の芸術ゾーンの魅力がまた高まり、県民が散策しながらそれらを巡るシーンも今後よく見られるであろう。 |
この度、「文化財保存活用地域計画」が策定され、これまで保存が主体であった文化財を今後いかに利活用し、地域づくりに活かすのか、それぞれ全国各地の自治体がその対応を検討中である。本作品はその一例ともいえるもので、登録文化財である旧陸軍第九師団司令部庁舎(明治31年建設)と金沢偕行社(明治42年建設)をそれぞれ移築・復元再生し、両庁舎を併存させ一体として新たな国立工芸館として生まれかわらせた。東半部の旧司令部庁舎は昭和に入って撤去されていた両翼を再生、特に正面意匠は忠実に復元されている。西半部の旧偕行社も旧材をできる限り再用し、柱や窓枠など木部の特徴的な青緑色の彩色も細密な調査に基づいて旧状に復され、特徴的な外観を蘇がえった。両舎をつなぐ中央部の玄関・アプローチ部および両舎の背後につながる翼部は鉄骨造やRC造で新築し、展示空間や倉庫・搬入空間としているが、旧来の木造部と再生部のRC造部分はEXP.Jを用いず、平面混構造とする耐震工法をとっている。
両舎はともに外観保存が主体の登録文化財であり、内部は新たな工芸館機能に即した改装がなされている。両舎を繋ぐ玄関、あるいは両舎の側廊部にあたるRC造の増設部の意匠やデザインにやや不備を感じるのが少し残念であるが、当施設がたつ場所はそれまで奥方に加賀本多美術館があり、その前方は大樹がうっそうと茂る本多の森公園であった。しかし、当施設の建設に伴い、前方は工芸館へのアプローチおよびその前庭として開放的で、明るい広場に整備され、ルネサンス風の旧陸軍第九師団司令部庁舎とバロック風の青緑色を基調とする旧金沢偕行社が横につながる新たな工芸館と一体になった魅力的な都市空間に生まれ変わった。しかも工芸館を挟むように東隣に煉瓦造の石川県立歴史博物館、西隣にRC造の石川県立美術館があり、この国立工芸館およびその前方に広がる前庭広場は、従来の2つの文化施設を繋ぐ役割も果たしている。金沢市に歴史文化や芸術を味わえる新たな都市空間がまたひとつつくられたことになる。 |