所在地 :愛知県名古屋市港区東茶屋3−123 |
水田がいまだ一帯の多くを占める名古屋湾岸部の低密度な郊外地の一角に建設された、名古屋市で二件目となる火葬設備を備えた斎場である。どんな人間にとっても必ず必要な場所であり、また死と向き合う厳粛な場であるにもかかわらず、火葬場は「迷惑施設」と見なされ、しばしばその建設は忌避され、その存在にすら厳しい目が向けられる。この建築はそのような斎場の両義性に正面から真摯に向き合っている。 過稼働状態が続いていた八事斎場をフォローするために建設されたこの第二斎場は、全国でも有数の30基の火葬炉を備え、最大で一日90組の火葬を受け容れる能力(不躾を承知で言えば巨大な機械のごとき合理的効率性)が求められていた。その平面構成は、ほぼ正方形の平面の中心部に火葬場建築で高さが最も大きくなる炉機能を配し、その三方を会葬者が利用する告別拾骨室や待合室などの低層部が取り囲むものである。会葬者同士が干渉することのないよう、エントランスホールや建物周囲の駐車場もまた三方に設けられ、全体として炉を中心とした求心的な構成をとる。いささか合理性が貫徹しすぎのきらいもなくはないが、このような適切な建築計画的解決により、嫌がられがちな機械部の露出を避けつつ、高い機能性と故人との最後の別れの場としての落着きとプライバシーを両立させている点は、高く評価されるべきものである。 外部においては、周囲に差し出された水平性を強調する深い軒がファサード全体を静穏な影の中に沈めている。敷地と道路との境界部では全周にわたり3〜10mの緑化されたマウンドが築かれており、近接する学校や商業施設からの視線に配慮するとともに、殺風景となりがち駐車場を適切に分節している。社会から求められる重厚な機能を担いながらも周囲には慎み深く遠慮し、あくまで控えめな構えに徹したジェントルな建築である。 |
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(柳沢 究) | ||||||||||||||||||||
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