所在地 :静岡県浜松市 |
今年、住宅部門の応募作品には、この作品と同様のコンセプトのものが、とくに多かったように思う。建物の内部と外部の庭の関係、外部空間を内部に取り入れるということ。応募作の多くが声を合わせてこう語り始めているというのは、もしかしたら住宅建築の根本に関わる意識が大きく変貌しつつあることの証しなのではないか? 浜松の住宅地のはずれ、ご両親の住まいの広い庭に若夫婦が新しい家を建てる、という話。庭の上にわずかに浮いたコンクリートの床を基盤とし、寝室、台所、風呂場、納戸、といった部屋をひとつずつ小屋に見立てて隙間をとりながら並べ、その上に一枚の屋根をおおきくゆったりとかける。その下に陰画のように浮かび上がるのがリビング・ダイニング。これがいくつもの小屋に取り巻かれた「内側の庭」として造形されることになる。 内側の庭から外の庭を眺めやると、大きなガラス戸を通した一体感、ガラス戸を戸袋に引き込めば、芝生に落ちるやわらかい雨音が内側の庭へと忍び込み、網戸まで引き込めば、内部と外部は完全にひとつながりになって融合する。このとき家を外から見返せば、まるで庭にたたずむ東屋のように見える。 庭の中に家をつくり、その中に庭をつくって、それを庭に開く。このような空間の両義性を表現しているのは、簡潔かつ明瞭な素材の分節である。ひとつながりの床と天井の間に、黒く染めた杉の縦羽目が外部から内部へとすんなり連続し、各々の小屋の輪郭を明確に結晶させる。動線の突端を大きな窓にして視線を外部に延長し、本来の庭の広がりを感じさせる。このような一点の隙もない素材やディテールの処理は、高い評価に値すると思う。 しかしそうした技量を越えて強く心を打つのは、「核家族の箱」がどんどん開きつながり合って行く様だ。もしかしたら、家族が極限まで小さくなったからこそ、皆が集い交わりあう外の空間を、私たちが本気で求め始めたということなのかもしれない。 |
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(富岡義人) | |||||||||||||||||||||
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