所在地 : 岐阜県多治見市 |
「子供に手がかからなくなったら、うちで食堂でもやろうかしら」。何気ない一言がこの住宅の個性を生んだらしい。 多治見市の地形豊かな緑地公園と直に接する土地に建つ、二階建ての簡素な住宅である。単純な切妻の軒下に、ラワンベニアが張り出す上階と、下階のモルタル塗りの対比が走る。 内部の空間構成もこの二層の分節に従う。一階は大きな窓のあいた将来の食堂と子供室。太鼓橋のように階段が上下して、空間がゆるやかに分節する。中心軸の階段を登れば、リビング。建物先端へと視線を返す構成だ。先にあるのはなんと物干し台。森の緑を背景に家族の着物がシルエットとなって風に揺れ、抽象的な生活感を醸し出す。振り返ると、一階と同じ太鼓橋の構成でキッチンや本棚や主寝室が背後へと続いていく。 内装はラワンベニアの突きつけ。天井・壁・床の区別も、枠も縁もない単純さである。簡素な素材をそのままに、工作にこそ神経を使おうという実直さは、工業的素材に向いた侘び・寂びということなのか。 インテリアの暗さも特筆すべきだろう。ラワンベニアの箱の内部は、まっ白なビニルクロスに比べれば断然暗い。窓も小さく、照明も非常に少ない。だがダイニングテーブルやリビングソファ、キッチンカウンターの傍らにそれらが絶妙な関係で配されるや、フェルメールの絵のようなポッとした立体感のある明るさがもたらされる。 住宅の個性。通り一遍の型から逃れ、様々な技法を駆使して独特の暮らしぶりを実現して見せる。その着火点はどこにあったのだろう。仕事と生活がひとつらなりだったころ、町家だって、農家だって、店舗住宅だって、忘れ得ない生活の個性が建築にしっかりと印された。だとしたら「食堂でも・・・」の一言が着火点だったのか。家族の寛ぎという内向きの意識をあえて破る言葉を使って想像をつむぎ出す。それは住宅のあるべき姿を依頼主と共有する、きわめて有効な方法なのかもしれない。 |
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(富岡義人) | |||||||||||||||||||||
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