所在地 :石川県金沢市青草町88 |
金沢城の北西隅に位置する近江町市場は、享保6年(1721)各地に点在していた市場を集めたのが始まりと言われ、対面販売による威勢のよい掛け声や庶民的雰囲気が継承され市民の台所として地元や観光客に長く親しまれてきた。今回の再開発事業はその歴史と文化の継承を基本に新たな創造を付加して賑わいを再生する事を目的に行われたものである。 まず始めに昭和7年(1932)に完成した村野藤吾設計の旧加能合同銀行本店を曳き家によって保存・再生し、再開発のシンボルとする工事が行われ、続いて行われたのが敷地周囲全てが正面という難工事である。施工中も地区内側の道路沿いではテント→仮設店舗→テントと営業が継続され、同時並行で市道アーケードと舗装や下水道整備等が行われ、地区外側となる国道でも国道拡幅による電線地中化や地下道整備が行われた。そのため建築計画、施工、行程等全てに於いて難工事を余儀なくされ、その苦労は計り知れない。 施設の一階は従前からの市場店舗を主体とした通りに加え、新たな24時間開放型の新通りをつくって市場の原風景の継承と回遊性の向上を実現し、地下には飲食物販店を配して地下道との一体的な商業空間を形成している。また、休憩や食事のできる店が少ないとの声に応えて二階は飲食店とし、三・四階は百台程度の駐車場と新たな集客と利便性を高めるため金沢市の市民交流プラザが入り、五階を業務施設としている。 外観は下見板を感じさせる水平線を強調したグレーの壁面と格子状の窓、市場入口の上部には白の格子を組み、保存した歴史的建造物の茶褐色の銀行との対比により印象的な風景を生み出しランドマークとしての機能を十二分に発揮し、一歩通りに入ると一転してビルの中に在りながら既存の市場と調和して雰囲気、情景、風景を醸しだした空間となる。 再開発は利益重視の土地の有効活用が最優先され安易に高層化する傾向にあり、ややもするとその町の歴史や文化を破壊し、その町らしさを失ってしまう。全国各地に見られる画一的な再開発事業に一石を投じた好事例として注目すべき建築といえる。 |
|||||||||||||||||||||
(上野 幸夫) | |||||||||||||||||||||
|
|