文化のみち“百花百草”のある白壁地区は名古屋城築城とともに形成された近世の武家屋敷街から、福沢桃助や川上貞奴、豊田佐吉一族、盛田一族はじめ近代を先駆した企業家が競って住む住宅街に変遷し、今マンション化の波を受け、住民や町並みに感心を持つ市民、行政がその保全に苦闘している。街道筋や商業地の町並みは観光化で保存活用されやすいが、住宅地の町並み保全は難しい。白壁の町並みは武家屋敷跡の平均5〜600坪の敷地、石垣と黒塀に見越しの緑、大正〜昭和初期の西洋館を織り交ぜた和風住宅=和洋折衷様式、茶の宗匠が敷地計画を指導した尾張の茶庭が特色である。“百花百草”はオーナーが住宅として使用しなくなった生家を名古屋城本丸御殿復元と呼応し、憩いの場として保存活用、公開したもので、オーナー自らの手になる地区初めての例として高く評価される。北入り敷地を活かし、門、踏み石露地、書院、茶席と茶庭を保存再生、玄関から入った母屋をサロンに建替え、蔵をギャラリーに保存再生する他、敷地半分近くを、百花百草を植えむ露地で周りを囲むイングリッシュガーデン風の草花の庭に仕立て、有料開放している。“百花百草”とはオーナーの岡谷家が所蔵し、今は徳川美術館が所蔵する重文の屏風絵にちなむ。白壁の特徴である近代の和洋折衷様式は現代の和洋折衷式庭園として再生された。保存された書院は大正期名古屋の住宅の特徴を良く遺し、茶庭に面して、にじり口を兼ねた全面開口障子とする開放的な3畳の茶席に続く。新築の母屋は西・北・東3面のRC壁と南面の細い鉄骨柱と桁、ルーバーを兼ねた集成材の格子梁の上に3層ペアガラスで屋根をかけた簡明な構造で、庭をゆったりと眺めてくつろぐ場として心地よい。建替え前の敷地図を拝見したかったが、写真によると、うっそうとした庭が明るい開放的な庭に生まれ変わっている。オーナーの心意気と実現した設計・施工者の努力を高く評価したい。
|